2019-03

Jalshaのブログ

すき焼き

 ドヴォルザークの話をしたら、昨夜、ドヴォルザークの音楽の夢を見た。交響曲8番だが、「なつかしい」旋律でいっぱいの音楽だ。昨日も書いたのだが、19世紀後半の音楽は、われわれ好事家にとってきわめて好もしい旋律やリズムに満ちている。  そういう音楽をたっぷり聞いて、そこから現代の社会を見ると、すっかり調子が狂っているように思える。19世紀の社会は、たとえ戦争をしても、根本のところでは狂っていな...
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平穏な献立

 むかしは毎日夕食を作っていて、そんなに好みもなかったんだけれど、このごろはどうも好みがあるように思う。いや、「好み」というのとは違うのかな。たとえば、牛肉と豚肉と鶏肉と魚肉のうちのひとつと、野菜とをつけあわせて、メニューを作る。主菜は4種類しかないわけだ。なぜ肉ってこれだけしかないんだろうね。まあ、細かいヴァリエーションを作ればたくさんになるんだけれど、そう変るわけでもないしねえ。  今...
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次の構図

 まいにち温かくなる。もっとも、夏になると暑くなり、秋になると涼しくなるんだけどね。四季によって気候の変化があるのは当然のことだと思い込んでいるけれど、非日本人にとってはそうでもないのかもしれない。ともあれ、春は温かくて嬉しい。日本人でよかった。  天気のよい日は家から出るが、40分程度で限界に達して帰ってくる。その他の時間は、家から出ないとなにもすることがないので、窓から外を見て暮らして...
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今年の計画

 昨日に較べると寒い。元気な人はそんなに感じないのかもしれないが、病人は切実に感じる。切実に感じるからといって対策が立てられるわけでもない。気にしてもどうできるものでもないので、「寒いなあ」と思って辛抱する。そうしているうちに春になるだろう。  春になると博物館めぐりをする予定でいる。滋賀県はけっこう博物館があって、それをめぐっていくうちに、やがて夏になる。それまでの時期を博物館めぐりで使...
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宣伝

 6月末と7月初の土曜日~火曜日に京都で、私のチベット仏教の師匠であるガルチェン・リンポチェ (Garchen Rinpoche) のワークショップをする。リンポチェは 1936年に東チベットのカムというところでお生まれになり、子供時代にリンポチェ(転生する聖者)としての認定を受けられた。それから修業を積んでおられたが、22歳の時(つまり1958年)、中国軍が侵入してきた。しつこく反抗されたが、...
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宣伝(2)

 ガルチェン・リンポチェのチベット仏教ワークショップのことを書いたが、もうすこし書き足した方がいいかと思って追加する。  まずは場所だ。会場の「臨済宗 興聖寺」だが、京都市営バス9系統「天神公園前」下車すぐが近い。大きなお寺だ。当日おいでになれば簡単に入れるようになっているはずだ。京都駅でバスに乗るとすると、30分くらいはかかる。本数は結構あるので、そんなに心配しなくても大丈夫だ。 ...
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展覧会

 お天気もよいし、他に予定もないし、平山郁夫の展覧会「仏教伝来の軌跡」に行ってきた。わが家から電車で湖西線堅田駅へ行き、そこからバスで琵琶湖を渡って行った。9時20分にわが家をたったら、10時すぎに着いた。屋根のような形の棟が2つある。博物館そのものは湖(?)の上にある。とにかく静かだ。お客もわれわれの他にわずかにいるだけだった。  11時半ごろまで、ゆったりと絵の世界に閉じこもっていた。...
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アドラー食

 アドラー心理学関係の人が2人お見えになった。行きづまった話があるわけではないが、「アドラー萌え」しておきたいのだろう。私のサービスとしては「マーラーカオ」を作った。気力をとりもどすためには、なにはともあれ「アドラー食」を充実させることだ。マーラーカオは中華風の蒸し菓子だが、軽やかでしかも食べ応えがある。  アドラー心理学を学んでもう30年以上になる。その間に食べたものを「アドラー食」とい...
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文部省唱歌

 昨日は「急襲部隊」に襲われて夕食を作る特権を奪われたが、代わりに今日の夕食作りをとりもどした。元来、火・木・土が私の担当日、月・水・金が妻の担当日で、日曜はそのときそのときの奪い合いで決まる。だから、金曜日である今日は本来は妻の担当日で、私の日ではない。しかし、この木曜日と金曜日に関しては、無事に話し合いが終わって、木曜は妻、金曜は私と決まった。献立は、きわめて単純だが、鮭の焼いたのだ。 ...
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定番メニュー

 この日記は毎日書いているが、どうしても「まんねり」になる。目下の「まんねり」は、決まり切った結末について決まり切った結論を書いてしまうことだ。そうならないようにするにはふたつ手があって、ひとつ目は別の話題を書くこと、ふたつ目は同じ話題でも別の切り口をみつけることだ。ところが、ふたつ目は現在は使いにくい。毎日同じ家の中でひっそりと暮らしているので、生活の幅が狭すぎて、別の切り口がみつからない。か...
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