2019-05

Jalshaのブログ

瞑想修行

 チベット仏教の瞑想仲間が集まって、6月末から7月初に行なう瞑想会の準備をした。  瞑想をして暮らすというのは「奇妙」な習慣だ。大部分の民衆はそんなことなしに無事に暮らしている。ただ一部の衆だけが瞑想をして、自分の「自然な」考えを不思議に思い始める。意識で思考を見つめても思考がとまるわけではない。かえってうるさくなることさえあるかもしれない。それでもある人たちは瞑想を続ける。それを五年も十...
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智慧と煩悩を超えたもの

 チベット瞑想はある種の「テーマ」をもっている。たとえば「智慧と煩悩は本質的には同一だ」とか「迷いと悟りは本質的には同じだ」というようなことだ。問題の立て方がちょっと変っているでしょ。「智慧と煩悩はこれこれが違う」とか「迷いと悟りは本質的に違っている」だとかいうようなことがテーマだと、一見悟りが開けそうだが、実際には永久に悟りは開けないんだそうだ。そういうわけで私も「わけのわからない」テーマにつ...
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短歌について

 詩人の保田與重郎が『木丹木母集』(もくたんもくぼしゅう)という変わった名前の歌集を出している。彼の歌集はこれひとつしかないので、探せば容易に見つかるだろう。たとえば新学社版がある。   さゝなみの志賀の山路の春にまよひ一人ながめし花ざかりかな  夜もすがらふゞきし雨の朝あけて松葉にたまりしづくする音  雪しぐれたちまちはれて日はつよし遠くの道を人歩みゆく  一読してすぐにわかるのは...
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短歌について(2)

 保田與重郎の歌の話を続ける。いま掲載している原稿は、実は「写し」であって、オリジナルは『野田俊作の補正項』2016年4月28日(昨日のは27日)にある。若干の手直しをしてある。  保田は独創性を発揮しようとは思っていなくて、基本的には『新古今和歌集』を模倣しようとしているのだけなのだが、おのずとそこに彼らしさがあらわれいでている。   押坂の古川岸のねこやなぎぬれてやさしき春の雪か...
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短歌について(3)

 今日も昨日までと同じように、『野田俊作の補正項』2016年4月29日を引用しながら書く。ただし若干のコメントを付け加えている。  本居宣長が和歌の徳について、次のようなことを書いている。   今は人の心は偽り飾ることが多いので、歌もまた偽り飾ることが多い方が、人情風俗につれて変化するので、自然の理にかなうのだ。であるから、この人の情につれて変化するということは、過去現在未来に不変の...
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短歌について(4)

 昨日引用した本居宣長の文章を、小林秀雄はたぶん誤読している。   歌は「人情風俗ニツレテ、変易スル」が、歌の変易は、人情風俗の変易の写しではあるまい。前者を後者に還元して了(しま)うことはできない。私達の現実の性情は、変易して消滅する他はないが、この消滅の代償として現れた歌は、言わば別種の生を享け、死ぬことはないだろう。「心ニオモフ事」は、これを「ホドヨクイヒツゞクル」ことによって詩に、...
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短歌について(5)

 短歌の話をもうすこししよう。保田與重郎が歌人山川京子氏に送った手紙に、次のような一節がある。   それからうたでことがらの説明をして、ことがらを人に理解してもらはうと思ふのは間違つてゐます。ことの説明弁解をせずたゞうたをうたひ、主にこころをのべることです。うたとことを両立同時にあらはさうと欲ばるのはいけません。(保田與重郎『木丹木母集』新学社,p.163)  「ことがら」と「こころ...
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料理当番

 昨日の予告通り「鮭の焼き物」を作った。塩鮭用の鮭肉1人あたり1枚、おまけに辛子明太子を付け合わせた。他に、ニンジン・タマネギ・ジャガイモを適量茹で合わせた。味噌汁もおまけ。これだけを休まずに作ると一時間たらずでできるだろうな。実際には、3時ごろ作り始めて、作ったり休んだりしながら、6時に仕上がった。  妻は木曜日の午後は学校に行っている。私は行くべき学校を思いつかないので、家でブラブラす...
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日々の暮らし

 「ニンニクの芽」をいただいた。長さは20~30センチ程度かな。ちょっと変っているのは、上の端が芽になっていることだ。芽がついていないのなら私が住んでいる地方でもスーパーマーケットなどで売りに出るのだが、こんなにしっかりとした芽がついたのは見たことがない。九州ではこの形で売りに出されるようだ。(つまり、九州の方からいただいた)。洗って5センチくらいに切り分けて、塩で茹でて夕食に出した。  ...
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退屈な日

 4月29日に次のように書いた。  インターネットも、目下はおもしろい番組がない。いや、あるのかもしれないけれど、見つけられない。それでぼんやりと画面を見ているだけだ。どうも、世の中が「おもしろく」動いていないということみたいだ。「おもしろく」というのは、いろいろあろうけれど、私の場合は、私の食欲が湧く話題のことだ。なんだろうな、それは?  それ以後、娘とその子供たちが来たので、深刻...
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