2019-08

Jalshaのブログ

ヘルペス・ゾスター(2)

 「ヘルペス・ゾスター」なる皮膚病にかかったということは報告した。その記事が先週の水曜日で、今日がちょうど一週間目だ。左胸と左背に湿疹ができて、今日もまだ活発だ。まあ、そうは言っても、全盛期よりはマシになってきている。症状を最高10点とすると、昨日や今日は2点くらいか。先週の症状が悪かったときは7点くらいで、起きて作業していることはとてもできず、ベッドに寝ているしかなかった。いまは、半病人ではあ...
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香港情勢

 香港では毎日のようにデモがおこなわれ、取り締まりはしだいに厳しくなってきている。香港の法律をよく知らないが、外国(日本を含む)が介入することはできないみたいだ。まあ、そうでしょうね。このままで行くと、やがて大爆発になって、ものすごい数の人々が逮捕され、傷害され、場合によっては殺害されるだろう。  アメリカは台湾に対して積極的に呼びかけをしているし、現在の蔡英文政権も活発に反応しているみた...
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ヘルペス・ゾスター(3)

 病弱(?)な私には主治医が二人いる。一人は大学の脳外科の医師で、3ヶ月に一度くらいしか会わない。もうひとりは近所の巡回医で、大学の医師の紹介だ。今日は巡回医の方の診察日だった。主治医にはいつ会うんだろうねえ。まあ、涼しくなってからのことだ。  「ヘルペス・ゾスター」つまり「帯状疱疹」が目下の話題だが、本日で治療は中止になった。完治はしていないけれど、よい方向に向かっていて、積極的に治療し...
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炎の舞(1)

 2015年7月~8月4日に書いた記事です。古くなっていますが、それなりに魅力はあるでしょう。この続きが「影の炎」で、このシリーズが終了後に掲載できると思います。 第一部 荼吉尼法 1.  あれは元亨三年(1323年)の春のことでございました。桜が咲き始めておりました。太子市の日ですから如月の二十二日でしょう。文観さまのお供をして四天王寺の法会に出て、帰りがけに、薬種を売ってい...
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炎の舞(2)

3.  私は十八の年に海に出ました。日本の年号で申しますと永仁三年(1295年)でございますな。蒙古の襲来の後、海の上もすこしおだやかになって、堺の沖に来る唐船が船乗りを募集しておりましたので、それに乗って、はるか南の海に出かけました。やがて、シュリーヴィジャヤと呼ばれる国にまいりました。漢字では室利仏逝と書いておりましたかな。そこは栄えた王国で、仏法が盛んでございました。日本からは半年あ...
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炎の舞(3)

第二部 修法 1.  「浄念は文観という僧を知っていますか?」 と永福門院さまに尋ねられて、わたくしは、 「はい、よく存じております、わたくしはむかし文観さまの従者をしておりました」 とお答えいたしました。浄住寺の客間は日当たりのよい場所に作ってはありましたが、その日は春がまだ浅くて冷えまして、鎧戸を半分ほど降ろしておりましたので、ほの暗くて、上座にお座りの女院さまのご様子は陰として...
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