2019-09

Jalshaのブログ

炎の舞(4)

4.  それから三月ほど後の、元徳三年(1331年)五月の何日かでございます。六波羅の役人どもが、文観さまや、修法のお手伝いをなさっていた天台宗の円観上人、忠円僧正を召し捕りました。その上、鎌倉へ護送して、噂によれば、惨い拷問を加えたとかでございます。僧に拷問を加えるなどというようなことをすると、その武士どもの後生は考えるだに恐ろしいことでございますので、わたくしは、文観さまたちのためにも...
Jalshaのブログ

炎の舞(5)

第三章 戦乱 1.  同じ年に、帝が鎌倉殿に対して軍を起こされ、京を離れて笠置山に立てこもられたのでございます。文観さまが硫黄島へ流されたのが七月で、帝が笠置山に行幸あそばされたのが翌八月のことでございます。帝が京を離れさせられると、鎌倉殿はただちに持明院統の量仁親王を新しい帝に立てましたので、帝は廃帝になられ、軍は賊軍となったのでございます。官軍、すなわち鎌倉殿のお味方衆は、いっせ...
Jalshaのブログ

炎の舞(6)

3.  そうこうしておりますうちに、帝は隠岐の島を抜け出されました。その噂が都に伝わったころのことでございますから、正慶二年(1333年)の三月の終りか四月の初めのころでございましょう、 人はみな不安におののいておりました。源平の合戦の後、蒙古襲来を除けば、小さな戦しかありませんでした。ところが、ここ数年、だんだんと戦の勢いが大きくなってまいりました。このままでいくと、また源平の戦のような...
Jalshaのブログ

炎の舞(7)

第四章 邪法 1.  いっときは平和でございましたが、それからまた戦乱の世になりました。帝にお味方して北条殿を滅ぼした足利殿が帝に背き、さらに足利殿の兄と弟とが内輪もめを始め、わけのわからぬ混乱状態になってしまいました。とうとう帝は都を出て吉野山に行幸あそばされ、そこに仮の皇居を定められました。延元二年(1337年)のことでございます。  その年の夏の終り、つくつく法師の鳴くこ...
Jalshaのブログ

炎の舞(8)

3.  その話はそれまでにして、旅に出ることを申し上げました。すると、 「旅もよかろうが、ここで儂と一緒に修業するのはどうか?」 とおっしゃいますので、 「帝のお近くは、わたくしには窮屈でございます」 と申し上げました。 「そうか。それでは、旅の途中で浪速の阿闍梨さまに会いに行ってくれぬか?」 とおっしゃいます。わたくしも浪速の阿闍梨さまにはご挨拶を申し上げなければと思っておりましたので、...
Jalshaのブログ

ちょっと休憩

 『炎の舞』は終了し、いったん休憩することにしました。なんとなく思いたって書き始め、さまざまの要素を追加しながらできてくるんですが、最初からそんなにはっきりとした方向性があるわけではありません。  文観は実在の人物です。これにたいして浄念は架空の人物です。文観の実在性は、私の中ではかなりはっきりしていて、もう何十年も前から私の心に話しかけてきます。顔つきや声の調子まで思い浮かべることができ...
Jalshaのブログ

影の炎

 『炎の舞』の続編『影の炎』を連載します。むかし『野田俊作の補正項』に連載したことがあって、再掲載です。 第一部 一揆 一  「影はおるか」 と、殿の声が聞こえました。わたくしは、当番のあいだは御殿の天井裏の「影の間」に潜んでおります。殿のお呼びがあれば壁の中にある梯子を降りて、廊下の隅にある小さな戸をくぐって廊下に出ます。この戸は、影の者以外にはわからぬように、巧妙に目くらま...
Jalshaのブログ

影の炎(2)

第二部 修法 一  三日目でございますから、十月九日のことです、師の御坊から知らせがあって、佐々木の殿と会えるように手配せよとのことでございましたので、その日の朝に会っていただきました。 「浄念阿闍梨もご健勝のようで、なによりだ。なんでも、浄阿と一緒に魔を見に行ってくださったとか」 その日は、殿だけでなく、ご家来衆が数人おられましたし、影の者の元締めの竹斎さまもおられました。師の御坊...
Jalshaのブログ

影の炎(3)

第三部 廃帝 一  師の御坊とわたくしは、翌朝の便舟に乗りました。便舟と申しますのは、湖の最北端の塩津の港を出て、主だった港々に寄りながら、大津まで行く乗合船でございます。塩津から大津まで三日かかります。わたくしどもは途中の坂田の港から乗りましたが、それでも船中で一泊しなければなりません。佐々木衆の軍船とは舟足がまるで違います。舟が坂田を出たのは午後の早いころでございました。彦根を経...
Jalshaのブログ

影の炎(4)

第四部 法会 一  翌朝のことでございます。朝食の後で、 「伊勢に行くと言ったが、はて、どうして行ったものか。美紗、そなたの仲間に、街道について情報を集めてもらうわけにはいかないか」 と師の御坊はおっしゃいました。難波から伊勢に行くには、玉造神社のあたりから東に向かって大和に出て、初瀬の谷を上って宇陀に入り、そこから曽爾、御杖などを経て伊勢に到る伊勢本街道の他に、数本の脇道がございま...
タイトルとURLをコピーしました