Jalshaのブログ

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書き始め

 昨年の2月7日に最後の記事を書いて、2月20日に入院した。それ以後、日記を書くだけの気力も体力もなくなって、ほぼ1年間仮眠していた。それから1年が経ってしまった。その間に回復すべきところは回復した。今以上に回復できるかどうかはわからないが、ともあれ小康状態だ。  現在の日常生活は、家庭内での生活はまずOKだが、外出は数百メートルが限度だ。歩くのは歩けるけれど、すぐに疲れが来る。これから先...
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同型の変移

 歴史を振り返ると、事件の根源が実は遠い昔にあって、一見違うように見えながら、よく見ると同じことの繰り返しが何度もおこなわれているんだなと気がついた。根源になる事象Aと結果になった事象Bとの間の因果関係が確認されないままなので、ひとつのストーリーのふたつの現れだとは認識されない。まあ、認識されなくても、事実そのものが変るわけではないのでいいようなものだが、やはり因果性の認識が違うと対応も違ってき...
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同型の変移(2)

 歴史上ある出来事があって、振り返ってみると、ずっとむかしにその発端となる出来事があったように思われる。そのような場合について、先にあった方を《原因》、後で起こった方を《結果》と考えることがある。もちろん、前者と後者の間に物理学的な因果関係は実証できないかもしれない。けれども、人間はそういう「立証」をするのが好きだ。そうしておいてから、ある種の結論を見出す。  例によって抽象論に陥りそうな...
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魚類変移

 いきなり話は変るが、妻とその娘とそのまた息子二人を連れて(というか連れられて)「滋賀県立琵琶湖博物館」へ行ってきた。昨日までは「私は行かない」と言っていたのだけれど、今朝になって、一人で留守番もかなわないなと思うようになって、ついていくことにした。まあそれなりに面白い一日であったが、私がいようといるまいと、妻や娘、あるいは子供二人にとって、どれほど違う一日だったかというと、たぶんなにも変らない...
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巣ごもり

お昼ごろ娘と2人の孫は帰っていった。2日から6日まで、孫たちとその両親がわが家にいた。父親の方は用事があって3日には帰ったが、母親と子供たちは今日までわが家でゆっくりと羽根を伸ばした。 そんなに手のかかる子供たちではない。アドラー心理学育児の影響を素直に受け取って、「すべきことはし、すべきでないことはしない」ということは、ほぼ身についている。零歳児からしつけを始めているので、身につき具合は...
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脱中国

 親類がいなくなって夫婦だけになった。妻は瞑想会関係のことで海外とやりとりがあって忙しいが、私は特になにも用事がないので、のんびりと暮らしている。むかしはこういう状態にある種の罪悪感を覚えて、自分にできる仕事を見つけだしては、半分は相手に貢献し、半分は相手に迷惑をかけて暮らしていた。昨年に病気をしてからは、必要以上に人の仕事に加担することはやめた。お陰で(と思うが)叱られなくなっているので、まあ...
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脱中国(2)

 中国の国力が急速に大きくなって、無視できなくなった。いま現在の時点についてみるなら、このまま放置すると暴発して、日本の存在がおびやかされる危険性だってある。歴史を動かす法則が日本人と中国人は違っているので、彼らの法則通りに動くなら、日本の存在は否定されることになる。日本保守派の私としては、「へえ、そうなんですか」と知らないふりをするのも気が進まないので、なんらかの反応をしなければならない。しか...
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脱中国(3)

 朝は雪が降っていたが、昼ごろにはすっかり晴天になった。朝8時から10時まで、インターネットで放送(っていうのか?)を視聴する。9時になると妻がやってきて、チベット語のお経を読むこともある。そういうときには私の方は放送視聴をやめて自分の部屋に行く。横になって休憩しているときもあるし、本を読むときもある。今朝は和田政宗氏の『日本国憲法「改定」』(すばる舎)を読んでいた。きわめて具体的で面白い本だ(...
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脱中国(4)

 「野田俊作の補正項 2010年01月01日」から引用する。『外国のアドレリアンと話をする中でよくわかってきたのだが、政治に参加するとは、政治家になることでもなければ、政治家の批判をすることでもなくて、ひとりの市民として国のため世界のためにできることをすることだ。』  「政治家」というと、安倍晋三さんだとかトランプさんだとかを連想して、ああいう「政治的存在」にならないといけないように思う人...
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稲作文化

 ある国の未来は、その国と周辺諸国の関係で決まる。こんなの、わかりきったことなんだけれど、いまの日本国民の多くはそのことを忘れている。なんだか不思議な力でうまくいくように思っているようだ。「うまくいく」というのがどういうことか尋ねても、たいしたアイデアを持っているわけではない。いまの暮らしの延長線上により輝かしい暮らしがあるように思っているのかな。いや、そもそも、そんなことは考えたことがないのか...
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