Jalshaのブログ

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顔のない時代

 今日も妻は外出で、ひとりで留守番している。別に用事もないので、パソコンでインターネットを見たりして暮らしている。  世間の情報は、なにしろわが家にはテレビもないし新聞もないので、インターネットからしか入ってこない。これはなにも最近のことではなくて、ここ20年くらいそんな状態だ。それで不便かというと、そんなこともないので、なんとなくこんなものだと思って暮らしている。「こんなものだ」と思える...
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Aシート

 午前11時前にわが家を出発して、JR石山駅から11時15分発の新快速電車に乗った。昼間の便としてはこの便だけが「Aシート」を持っている。3月に導入された新しい制度だ。普通の乗車料の他に5百円の追加料金がいるのだが、それを支払うと自分の席に座れる。ともあれ試してみようというので乗ってみた。  電車は普通の新快速電車だが、一両だけ全席「Aシート」の車両があり、そこに乗り込んで、スタッフに5百...
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ドヴォルザーク愛?

 インターネットの YouTube あたりで、有名作曲家名あるいは有名曲名などで検索をかけると、名曲の名演奏がどっさりみつかる。毎日それを聴いて暮らしているのだが、インターネット開発以前だと一曲あたり一千円程度はかかったので、日に5~6曲も聴くと、結構な支出になっていたはずだ。いまはいくら聴いてもタダだ。  最近の傾向としては、ドヴォルザークの作品を中心に聴いている。もっともドヴォルザーク...
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釣人

 地方選挙に行ってきた。今年は参議院選挙もあるし、ひょっとすると衆議院選挙もあるかもしれない。賑やかな年だ。ともあれ、政治に口を出せるのは「よい制度」だ。口を出せない国が多いんだ。悲しいことだ。  今日は日曜日で、川べりには釣人がたくさんいる。真冬もいたんだけれど、人口が違う。4月に入ると釣境は改善してきたみたいで、釣人の数はどんどん増えている。とくに土曜日と日曜日は数が多い。いちばん多い...
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語れることと語れないこと

 今日は暖かい。午後などは、暖かさを通り越して、日向に出ると暑いくらいだった。今年になってはじめてのことじゃないかな。これからどんどん暑くなり、やがて倦怠の夏が来て、それから涼しくなり、凍結の冬が来て、そしてだんだん暖かくなる。このレベルでの地球の動きは変っていないので、しばらくは(百年 or 千年 or 万年)同じようなことが続くのであろう。このことを「頭」ではなく「体」でわかるようになってき...
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老先生の古学説

 今日は朝から日本アドラー心理学会の理事さんが2人おみえになって、あれこれお話をなさっていた。アドラー心理学関係の話を私からもちかけることはもうない。力のある理事さんたちのお話を伺って、賛成であれば「私もそう思う」と言うし、反対であれば「私は別のことを考えているけれど、それはそれでかまわない」と言う。  もっとも、私が反対すると、理事さんたちは私の意見を聞きたがる。あまり積極的になりすぎな...
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過激派退治

 北朝鮮が日本に向けてミサイルを発射する可能性がゼロではないんだそうだ。「ゼロではない」ということは、「そういうこともありうる」ということだ。仮にそういうことがあったとしら、どうなるんだろうか。  北朝鮮が日本に向けているミサイルはどうも百発程度らしい。オーケー、百発あることにしよう。百発をどうやって発射するかだが、もっとも簡単なのは「同時に」発射することだ。なにしろ北朝鮮は最終的に「勝つ...
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宮内庁楽部

 インターネットに『宮内庁式部職楽部雅楽 2012年エディンバラ国際フェスティバル』という番組(?)があって、宮中の「楽部」がヨーロッパに巡業講演をしたときの記録画像が公開されている。1千年も前の音楽がそのまま演奏される。もっとも、音楽そのものの画像はそんなにたくさんなくて、本番になるまでのさまざまの打ち合わせや下準備をたっぷり撮ってある。私などは、もう一瞬いっしゅん涙が出そうな画像ばかりだ。コ...
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宮内庁楽部(2)

 今日も宮内庁楽部の雅楽を聴いていた。西洋音楽と根本のところで違っているので、評価が難しい。まず拍子が違う。西洋音楽のように「1・2・3・4」というような「均等」の長さの拍でできているのではなく、人間の呼吸にもとづいた不均等な長さの拍でできている。それが絡まり合って、全体のリズムを作りだす。調性についても、ハ調とかト調とかいうような単純な調性ではなくて、なんだか複雑にからまりあう音が複雑な色合い...
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共同の課題

 アドラー心理学に「気に入らない代替案をしりぞけて、より気に入った代替案を選ぶ」という操作がある。たとえば、目の前にあるお菓子を食べたいが、母親が「それはダメよ」と言う。そのとき「ただ諦める」というだけでなくて、「代わりに別の案を選ぶ」という案を採用することにする。たとえば、「別のお菓子を食べる」かもしれないし、「お菓子は諦めてお茶を呑む」かもしれないし、「お菓子なりお茶なりを口から入れるのは諦...
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