Jalshaのブログ

Jalshaのブログ

 今日も一日よいお天気だった。料理当番ではなかったので、一日のんびりとコンピュータを見ていた。インターネットで放送を見ていることが多くて、朝は「虎ノ門ニュース」というニュース放送番組、午後は「竹田恒泰チャンネル2」というニュース解説番組を見た。これらの番組は「右翼」だと言われている。たしかに左翼ではないけれど、世間が言う右翼とも違っている。第一、暴力的な主張がまったくない。政治的な主張の内容も、...
Jalshaのブログ

瞑想修行

 チベット仏教の瞑想仲間が集まって、6月末から7月初に行なう瞑想会の準備をした。  瞑想をして暮らすというのは「奇妙」な習慣だ。大部分の民衆はそんなことなしに無事に暮らしている。ただ一部の衆だけが瞑想をして、自分の「自然な」考えを不思議に思い始める。意識で思考を見つめても思考がとまるわけではない。かえってうるさくなることさえあるかもしれない。それでもある人たちは瞑想を続ける。それを五年も十...
Jalshaのブログ

智慧と煩悩を超えたもの

 チベット瞑想はある種の「テーマ」をもっている。たとえば「智慧と煩悩は本質的には同一だ」とか「迷いと悟りは本質的には同じだ」というようなことだ。問題の立て方がちょっと変っているでしょ。「智慧と煩悩はこれこれが違う」とか「迷いと悟りは本質的に違っている」だとかいうようなことがテーマだと、一見悟りが開けそうだが、実際には永久に悟りは開けないんだそうだ。そういうわけで私も「わけのわからない」テーマにつ...
Jalshaのブログ

短歌について

 詩人の保田與重郎が『木丹木母集』(もくたんもくぼしゅう)という変わった名前の歌集を出している。彼の歌集はこれひとつしかないので、探せば容易に見つかるだろう。たとえば新学社版がある。   さゝなみの志賀の山路の春にまよひ一人ながめし花ざかりかな  夜もすがらふゞきし雨の朝あけて松葉にたまりしづくする音  雪しぐれたちまちはれて日はつよし遠くの道を人歩みゆく  一読してすぐにわかるのは...
Jalshaのブログ

短歌について(2)

 保田與重郎の歌の話を続ける。いま掲載している原稿は、実は「写し」であって、オリジナルは『野田俊作の補正項』2016年4月28日(昨日のは27日)にある。若干の手直しをしてある。  保田は独創性を発揮しようとは思っていなくて、基本的には『新古今和歌集』を模倣しようとしているのだけなのだが、おのずとそこに彼らしさがあらわれいでている。   押坂の古川岸のねこやなぎぬれてやさしき春の雪か...
Jalshaのブログ

短歌について(3)

 今日も昨日までと同じように、『野田俊作の補正項』2016年4月29日を引用しながら書く。ただし若干のコメントを付け加えている。  本居宣長が和歌の徳について、次のようなことを書いている。   今は人の心は偽り飾ることが多いので、歌もまた偽り飾ることが多い方が、人情風俗につれて変化するので、自然の理にかなうのだ。であるから、この人の情につれて変化するということは、過去現在未来に不変の...
Jalshaのブログ

短歌について(4)

 昨日引用した本居宣長の文章を、小林秀雄はたぶん誤読している。   歌は「人情風俗ニツレテ、変易スル」が、歌の変易は、人情風俗の変易の写しではあるまい。前者を後者に還元して了(しま)うことはできない。私達の現実の性情は、変易して消滅する他はないが、この消滅の代償として現れた歌は、言わば別種の生を享け、死ぬことはないだろう。「心ニオモフ事」は、これを「ホドヨクイヒツゞクル」ことによって詩に、...
Jalshaのブログ

短歌について(5)

 短歌の話をもうすこししよう。保田與重郎が歌人山川京子氏に送った手紙に、次のような一節がある。   それからうたでことがらの説明をして、ことがらを人に理解してもらはうと思ふのは間違つてゐます。ことの説明弁解をせずたゞうたをうたひ、主にこころをのべることです。うたとことを両立同時にあらはさうと欲ばるのはいけません。(保田與重郎『木丹木母集』新学社,p.163)  「ことがら」と「こころ...
Jalshaのブログ

短歌について(6)

保田與重郎が言う「こころ」と「ことがら」の違いをもう少し考えてみる。 開戦の朝の電車に知る知らぬ引き締まりつつ静かなる顔  阿部鳩雨宣戦のビラに痺(しび)れしごとき街今朝の静けさかつて見ざりき  平井乙麿 どちらも日米開戦を詠った歌だ。短歌や詩を離れて、散文として読むなら、前者にはほとんど「客観」だけが語られていて、後者には「主観」がかなり混じっている。たとえば、前者の「(顔)引き締...
Jalshaのブログ

短歌について(7)

 昨日の結論、すなわち、「あの時代の人々みんながそこ(日本の「こころ」)に戻って考えていたなら、戦争はまったく違った展開になっていただろう」というのは、わかりにくいかもしれない。満州事変・支那事変から大東亜戦争にかけての時代には、複数の思惑がもつれあいながら展開していた。ひとつは日本の「こころ」にもとづくアジア解放の願いで、これは確かに存在した。ひとつはアジア征服の帝国主義的野望で、これが存在し...
タイトルとURLをコピーしました