Jalshaのブログ

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訪問看護

 昨日は記念日のお祝いの話をしたが、今日はお祝いじゃない普通の日だ。そうすると話題がない。なぜ話題がないかというと、「特別のできごと」が起こらないからだ。  じゃあ、実際になにも起こらなかったかというと、そんなこともないので、午前中には訪問看護師さんが来られた。ああ、そうだよね、訪問看護師っていうのは特殊なお仕事で、どこのおうちにもおいでになるものではないよね。その話をしよう。  大...
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モンテヴェルディ

 今日も特別の予定は入っておらず、変ったできごとはない。だから書くことも、普通に考えているかぎりはない。そこを無理になんとかと思って、音楽を聴いていたら、ああそうか、古い時代の音楽について書くのも悪くはないなと思いついた。  「古い時代」というのは、ヨーロッパの17世紀前半のことだ。普通、世間の人々は、「古い」といわれると18世紀(1700年代)だと思うようだ。ということは、19世紀(18...
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共同体感覚を聴く

 昨日はクラウディオ・モンテヴェルディの話をした。彼は1567年に生まれて1643年に亡くなったのだが、それから約200年後の1770年にベートーベンが生まれて1827年に亡くなった。両者の間に200年の歳月があって、それにつれて音楽もまったく違ってしまっている。現代の聴衆は、ベートーベンは聴くことがあっても、モンテヴェルディを聴くことはめったにない。逆に、ベートーベン以降の作曲家の作品を愛聴す...
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脱日教組

 新しいニュースが入ってくると、関心があるものだから、しばらく追いかける。そのうち、ニュースが古びてしまうか、あるいは別の新しいニュースが入るかして、古いニュースはもてはやされなくなる。人間は、多かれ少なかれ、そのようにして生きているみたいだ。つまり、「一貫した歴史」などというのは、単なる幻想ではないか。歴史学者なんていう人たちは、あるいは長い歴史観をもって生きておられるのかもしれないけれど、そ...
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ペトルーシュカ

 今日もあまり用事がなくて、昼からストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』を聴いていた。いちおう現代音楽に入るのかな。しかし、私にとっては、完全な「古典音楽」だ。というのは、クラシック音楽を聴き始めたごく初期に夢中になって、レコードを買ってきて何度も何度も聴いたからだ。音楽を聴く脳を作り上げる時期に聴いていた音楽が、その人にとって「古典」の音になるんじゃないかな。それから60年近く音楽を聴いている...
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マーラーの交響曲

 昨日はストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』の話をした。ついでにマーラーとかバルトークだとかの話もすこしした。せっかく話をしたので、もうすこし続きをする。  グスタフ・マーラーは1860年~1911年に生きていたユダヤ系の作曲家だ。いまではけっこう有名になっているようだが、私が音楽を聴き始めた時代(1960年代前半)には未知の存在に近かったんじゃないかな。とにかくクラシック音楽家というも...
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語法と様式

 中学・高校時代には、マーラーだのストラヴィンスキーだのバルトークだのの世話になって暮らしていた。そうすると、彼らにとって「新しい」ものが私にとって「新しい」ものになり、彼らにとって「古い」ものが私にとって「古い」ものになる。他の領域、たとえば文学とか絵画とかでも同じ現象があるはずなんだけれど、私の場合はそんなに気にしないですんだ。ただ音楽だけが鮮烈に「新しい」と「古い」とでできていた。しかもそ...
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右方偏向

 『虎ノ門ニュース』というインターネット番組を毎日見ている。『虎ノ門ニュース』の定期視聴者になる前は『チャンネル桜』という別の番組を見ていたが、あるときそちらをやめて『虎ノ門ニュース』に乗り換えた。発病する以前の記憶がどうもあいまいなので、正確な日にちがはっきりしないが、1年以上前のことだ。『虎ノ門ニュース』をいまは毎日、朝の8時から10時まで見ている。ただし土曜と日曜は休みなので、「テレビなし...
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右旋回

 インターネットでは「ネット番組」というものを見ていることが多い。昨日話題にした『虎ノ門ニュース』もそうだし、他に『竹田恒泰チャンネル 2』だの『みやわきチャンネル』だのもそうだ。事情を知っている人には「右偏向した番組ばかりじゃないか」と言わるかもしれない。しかし、そもそも「左偏向」した番組がそんなにないし(ゼロかもしれない)、仮にあっても見ていてそうおもしろそうではないように思う。それでつい「...
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対韓国・朝鮮ネタ

 インターネット・テレビをほとんど唯一の情報源にして考えていると、世間一般とのズレが次第に大きくなる。いまはたまたま韓国が話題だが、むかしから韓国に関してはネガティブな感覚をもっていた。起源をたどると、父親や母親の影響が最初にあったと思われる。学校の先生たちは、私の時代にはまだ中立である人が多かったように思うが、親はすっかり戦前型で、韓国人(あるいは朝鮮人)のやり方に懐疑的だった。いや、懐疑的と...
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